京成津田沼駅徒歩4分。どこに行っても良くならない痛みを根本改善。

津田沼集合

院長 印牧 幹郎(かねまき みきろう)

印牧先生保有資格:柔道整復師

こんにちは!

名字の珍しさと、体格の大きさが特

徴の印牧 幹郎(かねまき みきろう)

と申します。

魚座のO型で卯年で狸で土星人です。

何を調べても大体性格が「THEおおらか」と出ます(笑)。

私は1987年3月17日に、東京都墨田区の向島という、下町で生を受けました。家族は父、母、姉との4人暮らしでしたが、隣の家に祖父母が住んで居ましたのでほぼ6人暮らしのような形でした。

墨田区の実家では、祖父(故)、父、叔父の3人であんま指圧マッサージを営んでおり、子供の頃から祖父たちの背中を見て育った事もあり、幼稚園の卒園アルバムで将来の夢を書く際に、色々考え「父の後を継ぐ」と保育士さんに字を習いながら書いたのがこの業界に入った最初のきっかけであったと思います。

高校は工業高校に進みデザインなどにも興味を持った時期もありましたが、人のためになる仕事と父達の白衣姿への憧れもあり、専門学校と福祉大学を経て国家資格であり保険診療のできる柔道整復師を取得しました。

その後、大手整骨院グループで9年間勤めておりましたが、「骨折、脱臼、捻挫、打撲、挫傷」と業務の範囲が限られてしまう保険診療と違い、枠にとらわれないもっと色々な症状のかたと関わり、もっとたくさんの方を診ていきたいとの思いで自費診療を始めました。

我々の強みはレントゲンやMRIでわからない、薬では対応できないものに対し、前後左右のバランスや筋肉・関節の機能障害、不良姿勢、また生活動作から推理して、直接手で確認して調整していくことだと思っています。

今ある症状については勿論、今後の不安や、ご家族やご友人の症状の相談など何でもご相談ください。

一緒により良い日常を作って行きましょう!

 

 

渡辺 和樹(わたなべ かずき)

渡辺先生保有資格:整体師パーソナルトレーナー

こんにちは!

1981年8月12日、新潟県小千谷市

(おぢやし)という山あいの街に生まれ

ました。冬には雪が3メートル以上も降ることがあるくらいの田舎なので、子供の頃は常に野山を駆け回っていました。ちなみに新潟出身ですが、スキーと日本酒はあまり得意ではありません・・・。

中学・高校時代は陸上部で主に短距離を行っていたのですが、当時を振り返ると、思うような成績も残せず、もっと良いトレーニングがあったのではないか?と、悔いばかりが残っています。その時の経験もあり、一度就職もしたのですが、スポーツトレーナーの専門学校に進学し、卒業後は都内のパーソナルトレーニングを行うジムに就職しました。

その後、趣味で始めたクライミング中に、腰椎椎間板ヘルニアを患い、整形外科や接骨院にも通院しましたが、思うように回復もせず、身動きがとれないくらいの激痛や痺れに苦しむときも・・・。

一時的に症状は治まったのですが、このまま一生この痛みと付き合っていかなければならないのか?という不安を感じたのが、自分自身の体の状態を見直すキッカケになっています。

整形外科での治療やリハビリなども満足の行く結果を得られず、トレーナーという立場からももっとできることがあるのではないか?と思うようになり、このときの経験から、治療とトレーニングを併せた怪我や慢性的な痛みの改善や、再発させないためのサポートがしたいという思いも強くなり、治療家という道を目指すこととなりました。

 体の調子を整えるためには、マッサージなどのボディケアも必要だとは思いますが、治療を受けるだけでなく、トレーニングやストレッチなどでしっかりと体を動かすことで、自らの体を整えることはできます。

どうにもできない痛みや体の辛さに対して、自分自身で対処できることを知っているということはとても価値のあることだと思います。

そういったメニュー等、ひとりひとりに合った対処法を提案できるように全力でサポートさせていただきます。なにかお困りの症状があればなんでもご相談ください!よろしくお願いします!

 

 

廣瀬 茉祐(ひろせ まゆ)

廣瀬先生保有資格:柔道整復師

本日はご来院頂き、誠にありがとうございました。

柔道整復師の廣瀨茉佑です。

さつま芋が大大大好きな芋ねーちゃんです。

私は平成7年12月4日に東京都世田谷区で生まれ、その後すぐに栃木県小山市に引っ越しました。現在は千葉県船橋市に父・母・愛犬のゆず(チワワ)と住んでいます。

子どもの頃は、すごく活発で公園には1番最初に来て1番最後まで遊んでいたそうです。

両親には朝から晩まで外に連れ出され大変だったとよく言われました。小学生の高学年頃になるとテレビドラマに影響を受けやすくなり、ドラマ版の「エースを狙え」を見てテニスを始め、「アタック№1」を見てバレーボールを始めました。

バレーボールは高校まで約7年間続けました。専門学生の時は趣味でホットヨガをやっていました。

高校の部活動では練習量が増えた事もあり、怪我をする事が急激に増えました。その為レギュラーを外されて悔しい思いをしたり、皆と同じメニューをこなす事が出来ずに疎外感を感じる事もありました。高校2年生の冬には足の骨を疲労骨折してしまい、約1ヶ月のドクターストップを受けました。症状を何とかしようと整形外科を受診し、そこではリハビリを行うように言われました。

しかし、詳しい説明が無かったので何の為にリハビリを行うのか分からず、全くやる気が出ませんでした。私はだんだんとリハビリに行かなくなり、心配した母が近くの接骨院に連れて行ってくれました。

その接骨院の先生は患部に対する治療方針はもちろん、痛みを起こしている原因である体の歪みを治さなければいけないという事を詳しく説明してくれました。そのお蔭で治療に前向きに取り組む事ができ、接骨院に通うようになってから怪我が激減しました。

その先生のように、私も怪我のせいで好きな事が出来ず辛い思いをしている方や体に不安を抱えている方を助けたいと思い柔道整復師になりました。

痛みを取るだけでなく、患者様にしっかりと寄り添って根本的に改善して笑顔で「ありがとう」と言われる治療家を目指していきます。

皆様が健康で元気に美しく過ごせるよう全力を尽くします。よろしくお願いします。

 

 

奥村 仁(おくむら ただし)

奥村先生保有資格:鍼灸師

昭和48年6月10日生まれ、2児の父親です。10年以上治療の世界に携わっております。

趣味はサッカーで子供をプロのサッカー選手にするのが夢です。通勤前の子供との練習が毎朝の日課で、週末には地域の少年サッカーチームのコーチをしていて毎日ボールを追いかけています。サッカーの話しを始めると止まらなくなります、最後まで付き合う勇気のある方は話しを振ってみてください。

サッカーの話しをしてきましたが実は子供の頃は根っからの野球少年で、毎日練習に明け暮れていました。

アニメ『巨人の星』の星一徹の実写版のような父親の熱血指導の元、友達が遊んでいるのを横目に遊びたいのを我慢して泣きながら練習したのを今でも覚えています。ポジションはピッチャーだったのですが父親とのハードすぎる練習の影響もあり、ある時からボールを投げると右肘に激痛を感じるようになりました。もちろん試合で投げることは出来ません、チームメイトがピッチャーをしているのを見るのは悔しくてたまりませんでした。

応援に来た父親は私がピッチャーでないのが分かると怒って帰ってしまいます。ジャイアンツの江川投手にあこがれて、エースピッチャーになることを目標に練習して来た私にとってピッチャー以外のポジションは考えられませんでした。投げられない悔しさと父親の期待に応えられない罪悪感で押しつぶされそうになり、もうピッチャーは出来ないのではないかと諦めかけたこともありました。

そんな私を救ってくれたのが近所の治療院の先生でした。治療してくれるだけでなく、親身になって私の話しに耳を傾けいつも励ましてくれて諦めないことの大切さを教えてくれました。痛みもなくなり無事にピッチャーにも復帰する事も出来、将来はあの先生のような大人になりたいと思ったのが治療家を目指すきっかけになりました 。

どんなに小さなからだの不調でもあっても、その状態で生活しているとからだはどんどん老化します。逆に健康なからだで生活出来れば老化は遅らせることが出来ます。

人には自然治癒力が備わっています、症状が治っていくのも自然治癒力の力です。私の仕事はその自然治癒力を最大限に引き出すお手伝いをさせていただくことです。そのためのサポートを全力でさせていただきます。二人三脚で一緒に健康なからだを目指しましょう!

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